仮想通貨で中学受験

50過ぎ❨中卒❩トラック運転手が一人息子の私立中学に向けた学費を仮想通貨で捻出を試みるブログです。

1月の回想録 その6

1/6 (月)

 

今日から仕事初めだ。
働き出して数十年以上も経つのに正月明けの出勤は本当に難儀だ。
直会社に行くのが嫌になる。

とは言っても行かないわけにもいかず、嫌々出勤した。
何が嫌なのかと言えば『会う人会う人にする新年の挨拶』だ。

特に午前中はこの挨拶するために出勤するようなものである。
日本的と言えばそれまでだが、外国人から見ると異様な光景だろう。
しかも非生産的な行為なので外国人が会社のトップになったら真っ先に廃止になりそうな儀礼だろう。

毎日顔を合わせている人間にもこの日だけは特別な挨拶をしなければならない事が実に馬鹿馬鹿しい。

ただ、会社絡みの忘年会や新年会の回数は年々減少している。
曲がりなりにも車を運転する仕事なので、万が一にも酒が残っていたら運行禁止になるし、誰か一人でも飲酒死亡事故でも起こしたら、潮が引くように顧客が去ってしまう。
そうなると中小企業や零細企業は倒産は不可避だろう。

 

その昔は年末になると会社内で忘年会を開き、散々飲み食いをして車で帰宅することが当たり前だったし、今考えれば恐ろしいことだが、会社の車で二次会三次会と繰り出すことも多々あった。

まだ飲酒運転に関して緩やかな時代だったのだろう。

信じられないだろうが罰則規定も今みたいに厳しくなかったのだ。

 

あまりにも仕事に行くのが面倒なので、ふと挨拶について考えてみた。

 

 

1月の回想録 その5

1/5 (日)

 

またもや塾や受験から話が逸脱してしまった。

 

昨日から太郎は塾が始まっていた。
晦日や元旦などの正月特訓は色々な地区の塾から1つの校舎に集まって合同授業だったが、今日からはいつも場所でいつものメンバーだ。

 

受験生とはいえ冬休み2日しか休みがないのはかわいそうな気もする。
しかし他のブログを観てみると、大なり小なり正月返上で特訓しているわけだから、やらなければやらないでもっと不安になってしまうのだろう。

 

他の子が猛勉強をしているのにうちの太郎だけ遊ばせているわけにもいかず塾へ送り出した。まさに朝から晩まで勉強ずくめだ。


妻はパートに行き太郎は塾なので、こたつに入って読書に耽った。
今日読んだのは赤松利市の『鯖』だ。
前回読んだ『らんちう』より分厚い本だが、
あっという間に読み終えてしまう。

 

本を読み終えブログの下書きを始めたが、ある問題に気付いた。

 

他の受験ブログを観ているとやれ
『身バレ』とか
アメンバーのみ公開』とか
『○○校』などと校名の明言を避けているブログがやたらと目に付く。

 

個人の考え方なので人それぞれだろうが、
正直、そんなもんそんなに秘密にする?
って思う。

その人のブログを初めから読んでいればおおよその見当は付くのかも知れないが、はじめて訪れる人には何が何だか解る訳も無い。

一期一会の間柄でそんなに慎重になる必要性があるのか、甚だ疑問だ。

 

ブログで顔晒して犯罪自慢しているアホウじゃあるまいし、バレて困ることなどこにも無い。


よってそのまんま校名を書いて下書きを作った。

普通に受験する学校名を全て記そうと思っていたのだが、

ここで問題が発生する。

 

太郎が身長175 cm を超えると書いてしまったので知る人が一目見ればすぐわかってしまうだろう。

日本人の小学6年生で175 cmを超える身長の生徒はそうはいないであろう。
四谷大塚の合不合でも、首都圏模試でも、私より背の高い小学生など見た事も無い。

そのためにリアルタイムの報告は避けることにしたのだ。

 

1月の回想録 その4

1/4 (土)

 

その昔、FOCUSという写真週刊誌があった。
今では廃刊になり写真週刊誌といえばFRIDAYのみだが、FOCUSとFRIDAYのネタが互いに過激になっていた頃、FOCUSで鉄道での人身事故の処理にあたる鉄道関係者の写真が載っていたことがあった。

 

その写真にはバラバラになった躰の一部を素手で運んでいた。亡くなった人の頭部を手袋もはめずにだ。
その雑誌を見た当時は生首の写真に只々恐怖を感じたが、数十年経った今思い返せばあの現場で作業をされていた関係者に尊敬の念を抱くのみである

 

日本では葬式にでも行かないと死体など目に触れることはないだろう。
しかし国が変われば夕飯時の憩いの時間なのにテレビで平気で死体の映像が流れる国もある。
新聞の一面に無残なかたちで亡くなった人の姿を載せる国もある。

 


電車の飛び込みでバラバラになった死体を見せられれば最大の抑止力になりそうな気もするのだが。

でも自殺する側の心理にしてみれば残された家族や莫大な請求額のことなど微塵にも頭に無いであろう。
多分それくらい追い込まれているのだろう。

 

その彼女はバングラデシュの人間までは分かるが、もしバングラデシュの中でも少数民族ヒンドゥー教ならば娘の死に対して葬儀を出さねばならないだろう。

 

最近NHK で再放送されていた番組に
『インド お葬式破産』というものがあった。
NHKのホームページから引用すると、

“インドの農村部では、家族が亡くなると盛大な葬式を催し、一帯の住民を招く風習がある。しかし、巨額の借金を負って破産や一家離散に陥る例が続出。貧困の連鎖は止まるのか!?


数千人分の招待状を印刷し、ご馳走を用意…お葬式の規模を縮小すると、“故人の人柄も小さかった”と冒とくすることになる。“家の誇り”が遺族にのしかかり、子どもを売ったり、土地を手放す人々が後を絶たない。”

とある。日本人には理解出来ない風習だ。

 

幸い今回のケースでは命には別条が無いので医療費を10割の自己負担の請求で済むだろう。

それでもアルバイトをしている身の外国人にしてみれば相当の負担だろうが···

 

評論家の西部邁が自殺したことはまだ記憶に新しい。ただ自分一人で死にきれずに、知人に手助けを頼んだみたいだ。
その結果したとして旧知の友人が自殺幇助の疑いで逮捕された。
真冬の入水自殺なんて以前から自殺願望のあった西部邁らしいと思ったが、あれほどの人間でも知り合いに迷惑をかけて死んで行ったわけだ。

 

もっと昔に遡れば太宰治だって一人では死にきれずに愛人の山崎富栄と共に玉川上水へ入水心中した。
太宰の自殺願望も相当のものだったらしいが、愛人という第三者を巻き込んで死んで行ったわけだ。

 

故に天寿を全うせねば必ず誰かに迷惑を被ってしまうわけなので、自死などするものでは無い。

 

仏教の教えに
『生まれがたい人間に生まれ、聞きがたい仏法にめぐりあえた今生に迷いの解決をしなければいつするというのであろうか』
とある。

 

因みに私はどちらかと言えばキリスト教の教えの方が分かりやすいのだが、仏教の教えもありがたい言葉も多そうだ。

1月の回想録 その3

1/3 (金)

 

本当は妻の仕事初めは今日からなのだが、昨日の件があり臨時で休みをもらったみたいだ。
太郎も冬休みの間はほとんど塾なのだが、今日だけは休みだ。

思いがけない休みが重なり、今年は行けないと思っていた初詣に急遽出掛けることにした。

確か去年はスマホのカメラで太郎を撮ろうとしたら、
『頭が寝癖で酷いから写真はいい』
と言われて、まだまだ子供だと思っていたらいつの間にかそんなに成長したのか。
そんな事があり、この年の写真は殆ど残っていない。

私は二人兄弟の弟で、子供の頃の写真が兄と比べると5:1ぐらいの割合で少ない。
昭和の時代、まだ写真が貴重だったので今みたいに沢山撮ることなど出来なかっただろうが、それだけに子供の写真は沢山残してやりたかったので、生まれてから毎週のように写真を撮り続けてきたのだ。

だからこれから太郎が大きくなり、益々思い出としての写真が少なくなっていくことに寂しさを感じてしまう。

初詣をして御守りを購入し、太郎だけおみくじを引いてみた。
結果は『吉』だった。
子供用のおみくじなので流石に『凶』など入っていないだろうが、数年前に『末吉』が出たことを考えると『凶』もあるのかも知れない。

そんなことを考えながら家路に着いた。


帰ってから直ぐに太郎は居間で勉強を始めたので、妻と留学生の話になった。

流石に昔の知り合いの話は避けたが、私自身が子供を持ってから生き死に対する考え方が変わった気がする。

昔は他人に迷惑がかからなければ死ぬのは本人の自由だと考えていた。
しかし親の立場になってみて、自分の子供が親より先に死んでしまうことを想像すると、それは筆舌し難いほどの苦痛だろう。

今回の留学生のケースにしても貧しい国から子供の為を思って他国に留学させたのに、留学先の国で死亡などしたものなら、残った遺族に請求されるであろう、医療費および遺体の輸送費用など。
自殺の場合は健康保険も国民健康保険も使えないので超高額な自由診療請求が課されるはずだ。
そんなことを1ミリでも考えればきっと思いとどまっただろう。

電車の飛び込みに至っては何千何万もの乗客
に迷惑がかかるし、そんなバラバラになった遺体を取り扱う鉄道関係者や葬儀屋達の身にもなってみれば分かりそうなものなのに。

 

そんな正月には相応しくないことを妻と話し合った。

 

1月の回想録 その2

1/2 (木)

 

今日も太郎は正月特訓だ。
朝物音で目覚めて時計を見るとまだ午前3時だ。
何やら妻が電話で誰かと話している。
しかもかなり慌てた感じだ。

妻が二階から下に降り、エアコンの稼働する音が聞こえたので私も居間に向かう。
妻にどうしたのか聞いてみると職場のスーパーの店長からの電話で、どうやらアルバイトの留学生が自殺未遂をしたらしい。

その留学生の携帯電話を病院の人が通話記録を調べたら、唯一の日本人の名前が店長だけなのだ。それ以外は皆ベンガル語の名前なので必然的に日本人宛に電話が入ったというわけだ。

それもそのはずバングラデシュは唯一の公用語ベンガル語なので、いくら頭の良い医療従事者でもベンガル語が操れる人はそうはいないはずだ。


アルバイト先の上司に病院から連絡が入ったが、その上司の自宅は職場から100キロ程離れた場所なので、直ぐに駆けつけられる訳にも、いかず白羽の矢が妻に向いたみたいなのだ。

 

正月早々、しかも真夜中にそんな事を言われてもこちらも困る。
でも妻はその留学生と仲が良かったらしく病院に向かうとのこと。

ここから車だと2、30分の場所なので送ろうかと尋ねたら、帰りが何時になるか分からないし、迎えに来てもらわなければならないので大丈夫と断られた。

まあ、車に乗らなければならないとなると酒が飲めないので、私にしてみればその方が都合が良い。

人の生き死にがかかっているのに酒の心配をするのもバチ当たりみたいな気がするので、
とりあえずは無事でいることを祈るしかない。

太郎を塾に送り出しても妻からは連絡も無いので今日も一人でこたつに入り本を読みながらビールを飲んだ。

最近続けて読みふけっているのは赤松利市。
たまたまNHK の深夜ラジオを聴いていたら、
インタビューを受け答えしていたのが赤松利市で、
この人の生い立ちを聞いていたら作品も興味が湧いてきて年末に早速図書館から借りてきたのだ。

タイトルは「らんちう」といってなかなか面白かった。
一冊読み終えた頃に妻が帰宅。
かなり疲れた様子でことの成り行きを聞いた。

妻から概要を聞いてみると、慣れない日本、慣れない仕事、同郷の彼氏とのトラブル等々色々な出来事が重なり精神科に通院していららしい。

そこで彼氏と電話でケンカしたらしく電話を切った後に発作的に大量の薬を飲み込んだらしい。

そもそも精神科に通う患者で、しかも自殺願望がある人間に処方される薬は多少オーバードーズしたところで簡単には死ねないだろう。

数時間苦しい思いをした後、自ら救急車を呼んだのだ。
病院に担ぎ込まれ胃の洗浄をされて点滴を打っていたらしい。

ふと、昔知り合った女がメンタルが弱く、手首に躊躇い傷をたくさん付けていた女性を思い出した。 

酒を飲んでは死にたくなるらしく、手首を切ったり薬を大量に飲んだりしてもなかなか死ねない。
いつも回りの人に迷惑をかけていた女だ。

最初は心配したけれど、あまりに自分勝手な考え方だらけで、関わるのも嫌になったことがある。

その女が言ってた言葉に
『死にたいけれど死ね無いんだよ、助けられたら痛かったり苦しい思いしか残って無いんだけど、また嫌な事があると繰り返すんだよ』って言っていた。


国こそ違うが同じような人間はどこにでもいるんだろう。