仮想通貨で中学受験

50過ぎ❨中卒❩トラック運転手が一人息子の私立中学に向けた学費を仮想通貨で捻出を試みるブログです。

1月の回想録 その4

1/4 (土)

 

その昔、FOCUSという写真週刊誌があった。
今では廃刊になり写真週刊誌といえばFRIDAYのみだが、FOCUSとFRIDAYのネタが互いに過激になっていた頃、FOCUSで鉄道での人身事故の処理にあたる鉄道関係者の写真が載っていたことがあった。

 

その写真にはバラバラになった躰の一部を素手で運んでいた。亡くなった人の頭部を手袋もはめずにだ。
その雑誌を見た当時は生首の写真に只々恐怖を感じたが、数十年経った今思い返せばあの現場で作業をされていた関係者に尊敬の念を抱くのみである

 

日本では葬式にでも行かないと死体など目に触れることはないだろう。
しかし国が変われば夕飯時の憩いの時間なのにテレビで平気で死体の映像が流れる国もある。
新聞の一面に無残なかたちで亡くなった人の姿を載せる国もある。

 


電車の飛び込みでバラバラになった死体を見せられれば最大の抑止力になりそうな気もするのだが。

でも自殺する側の心理にしてみれば残された家族や莫大な請求額のことなど微塵にも頭に無いであろう。
多分それくらい追い込まれているのだろう。

 

その彼女はバングラデシュの人間までは分かるが、もしバングラデシュの中でも少数民族ヒンドゥー教ならば娘の死に対して葬儀を出さねばならないだろう。

 

最近NHK で再放送されていた番組に
『インド お葬式破産』というものがあった。
NHKのホームページから引用すると、

“インドの農村部では、家族が亡くなると盛大な葬式を催し、一帯の住民を招く風習がある。しかし、巨額の借金を負って破産や一家離散に陥る例が続出。貧困の連鎖は止まるのか!?


数千人分の招待状を印刷し、ご馳走を用意…お葬式の規模を縮小すると、“故人の人柄も小さかった”と冒とくすることになる。“家の誇り”が遺族にのしかかり、子どもを売ったり、土地を手放す人々が後を絶たない。”

とある。日本人には理解出来ない風習だ。

 

幸い今回のケースでは命には別条が無いので医療費を10割の自己負担の請求で済むだろう。

それでもアルバイトをしている身の外国人にしてみれば相当の負担だろうが···

 

評論家の西部邁が自殺したことはまだ記憶に新しい。ただ自分一人で死にきれずに、知人に手助けを頼んだみたいだ。
その結果したとして旧知の友人が自殺幇助の疑いで逮捕された。
真冬の入水自殺なんて以前から自殺願望のあった西部邁らしいと思ったが、あれほどの人間でも知り合いに迷惑をかけて死んで行ったわけだ。

 

もっと昔に遡れば太宰治だって一人では死にきれずに愛人の山崎富栄と共に玉川上水へ入水心中した。
太宰の自殺願望も相当のものだったらしいが、愛人という第三者を巻き込んで死んで行ったわけだ。

 

故に天寿を全うせねば必ず誰かに迷惑を被ってしまうわけなので、自死などするものでは無い。

 

仏教の教えに
『生まれがたい人間に生まれ、聞きがたい仏法にめぐりあえた今生に迷いの解決をしなければいつするというのであろうか』
とある。

 

因みに私はどちらかと言えばキリスト教の教えの方が分かりやすいのだが、仏教の教えもありがたい言葉も多そうだ。