仮想通貨で中学受験

50過ぎ❨中卒❩トラック運転手が一人息子の私立中学に向けた学費を仮想通貨で捻出を試みるブログです。

1月の回想録 その11

1/11 (土)

 


城北埼玉の特待は当日の夜には合否の発表がある。
だから試験日のPM 10:00には発表されていたらしい。

ただ、我が家では太郎の睡眠時間確保のため現在は21:30には家族揃って寝ているのだ。
因みに保育園の頃は19:30、小学校の低学年は20:00、中学年は20:30、高学年で21:00となっている。
流石に受験間近の数ヵ月は21:30までに伸びたが、それでも22:00は就寝しているのだ。
よって朝早く起きた妻がスマホで確認した。


見事合格


点数開示がないので何点で合格したのか分からないがまずは合格で一安心できた。

昨夜は疲れたのかいつもより遅く起きてきた太郎に合格の知らせを伝える。

 

『あっそ。まあ、受かると思っていたよ』

 

と素っ気な返事。
インターエデュなどでよく目にする文言に、試験に絶対は無いとあるけれど、完璧な位までに対策していればまず大丈夫なのではと思う。
落ちた人には傷口に塩を塗るようで悪い気もするが、そもそもの偏差値が足りていないのか準備不足か、または両方のどれかであろう。
希に体調不良も考えられるだろうが、それは不可抗力なので不運としか言い様が無い。


栄東の発表は試験翌日のAM 10:00だ。
どうせ直後はアクセス過剰で直ぐには見られないだろうし、多分こっちも大丈夫だろうと慢心していることもあり、昼ぐらいまで放っておいた。

そして昼ご飯を食べた後に接続する。


不合格


太郎の予感は見事的中しており、国語以外は平均点を上回っていたが、如何せん国語が酷い。
36点ではいくら他の教科で頑張っても国語が足を引っ張り過ぎていて、どうにもリカバーは無理だろう。

しかし塾側に勧められただけで、合否に関係無く通う可能性がゼロだからあまり気にするなと慰めたが、かなり神妙な面持ちの太郎。
昨夜の城北埼玉での合格によるお祭り騒ぎのような雰囲気は一掃されて一気にお通や状態だ。

 

先程の言葉をそのまま使えば

『そもそもの偏差値が足りていない上、準備不足だったのだろう。』

 

 

そして午後からは塾の自習室に向かって栄東のB 日程の過去問を黙ってやり始めていた。

 

1月の回想録 その10

1/10 (金)

 

いよいよ埼玉校の受験解禁日だ。
今年は金曜日なので私は普段通り出勤し、
パート務めの妻にシフトを調整してもらって同行を頼んだ。
普段は太郎が寝ている間に家を出ているのだが、本日だけは太郎が起きるまで待って一言会話をしてから出勤した。

午前中はに栄東 A 日程を受験する。
急遽決定した受験だが、一ヶ月みっちり過去問に取り込んでみた結果、合格者平均点は取れるようになっているので多分合格するだろう。
会場は午後の試験会場との絡みがあり栄東の校舎になるように出願し、無事にその通り本校舎で受験できるようになった。

試験が始まる前と終了時に妻から連絡が入ったが、特に問題もなく終えたらしい。

午後は城北埼玉の特待入試で会場はさいたまスーパーアリーナだ。
算数理科の二科目試験で四谷大塚の80偏差値は54だ。
こちらの学校は滑り止めの意味合いで受験するつもりだ。
それでも栄東より通う確立は高くなるし、10年分ぐらいの過去問に取り組んだが8割以上は取れているので多分大丈夫だろう。

二科目だがスタート時刻が遅いので終了したのが17時を回っていた。
私の方が終業して既に帰宅していたので最寄りの駅まで車で迎えに行き、そのまま外食で夕飯を済ませた。

テストが終わってから「どうだった?」などと聞いてはいけないとか本で読んだことはあったが、聞かないわけにもいかず聞いてみた。

するといつもならば
『まあまあ出来たかな』ぐらいの返答があるのに、今日に限って


『国語がヤバい…』

 

とポツりと一言だけ。

城北埼玉は算数理科の二科目なので、自ずと栄東だと理解した。


そうなのだ、栄東の国語は論説文と物語文の二部構成で、太郎は論説文が大の苦手なのだ。
過去問を解いた後に私も同じ問題を解き、具体的な解き方から問題が解けずに困った時の対処方法までテクニカルなことは一通りやったつもりだった。

国語の何がヤバかったのかを聞くとやはり
長文に時間を取られて時間配分が足りずに残った記号問題は適当に選んで記入。
記述は私に教えてもらった方法で解いたとのこと。

他の教科はそこそこ出来たらしく、問題は国語だけみたいだ。
それでもこの学校は受験者数が日本一多く、一点二点の違いで順位が100から200違ってくるらしい。

他の教科でカバーできる範囲なら良いのだが……

 

1月の回想録 その9

1/9 (木)

 

残すところ後1日で試験だ。

他のブログの保護者などは緊張して眠れないとか書かれているが、
別に私が試験を受ける訳でも無いので全くもって緊張しない。
私自身がこんな性格なのできっと太郎もあまり緊張していないと思っている。


仕事初めから早4日が過ぎたが相変わらず出勤するのが辛い。
通勤電車の中で週刊誌の中吊り広告が目に止まる。定年後の過ごし方みたいな見出しだった。
そこでふと自分の定年について考えてみた。

私がまだ20代の頃、確か定年退職の年齢は55歳だった気がした。
人口も多かったし国内の景気も悪くは無かったからだ。
故に私の今の年齢だと昔だったら定年退職して孫に小遣いでもあげている、気ままな年金暮らしとなっていたはずだ。

それがどうだろう?
息子はまだ小学生で孫どころの話ではない。これは自分が晩婚だったので自己責任だからとやかく言う気は無い。

昔だったら定年の年齢は55歳だったが
現在は60歳。
しかも、年金の支給開始は65歳。
実質蓄えが無ければ65歳まで働かなければならない。
しかもその65歳までも政府は先伸ばししようとしている。

これは偏に年金が「積立方式」ではなく「賦課方式」であるということなのだ。

積立方式だと自分が積み立てたお金が国が預かり、年金として返ってくるものだ。
一方賦課方式は、現役世代が支払った税金で年金受給者を養う方式なのである。
言わずと知れて日本の年金は「賦課方式」の方を選択している。

ではこの賦課方式は何が問題なのかと言えば、人口動態の変化である。
国が成長していると人口増加に伴い生産年齢人口が増え、高齢が少ないピラミッド型ならばり賦課方式は上手くいく。

しかし生産年齢人口が少なくなって高齢者ばかりが増えてしまうと、現役世代の負担は極度に重くなって高齢者を支えることができなくなる。
これが賦課方式の問題点だ。

今の日本は少子高齢化である。だから、莫大な高齢者を現役世代が支えることになってしまい、年金制度がぐらついているわけなのだ。

ここにきて政府は『生涯現役』などと調子の良い事を言い出している。
働ける間はずっと働いて稼いでくれという意味だ。
これは年寄りに年金なんぞあてにしないで一生働けと言っているのと同じである。

こんな早晩破綻するような状態で若者には年金をきちんと納めましょうなどと言うこと自体イカれている。
かと言って今更、過去資金が潤沢にあった時に箱モノを作ったことによって資金が底をつきました。

これでは一生現役ではなく一生奴隷である。

1月の回想録 その8

1/8 (水)

 

あと2日で埼玉校の入試が始まる。
他のブログを巡回して見てみると、埼玉を本命にしている人は少なさそうだ。
やはり都内を本命にしている人のブログが大半なのかな。

我が家は埼玉県在住だが、本命は都内の学校なので模試の感覚で受けて来いと言ってあるのだ。

 

太郎の入試スケジュールは、まず1月10日の午前に栄東 A 日程を受験する。
同日の午後は城北埼玉の特待入試のダブルヘッターだ。
私のブログを少しでも読んでくださっている方は

『あれ、絶対に男子校だったんじゃないの?』

と思われる方がいるかもしれない。
この件に関してはあまり詳細を述べられないのだが通塾している塾長の強い薦めがあり、
12月に入ってから急遽受験が決まったのである。

その話が出た時は塾長に私が食って掛かって
『何で通う可能性が無い学校を受けなければならないのか』と言ったのだが、塾長の話に妻が賛同したので、こうなると私の拒否権は無くなる。
その結果、結局こちらが折れて受験が決まったのだ。

 

慌てて過去問を購入し、12月中は殆ど栄東の過去問に時間を割かれていたのだ。

ご存じかと思うが栄東はA日程のB日程の二通りあり難易度が違う。
四谷大塚の80だとはA日程が59で
B日程が57だ。
因みに東大 Ⅰだと68で東大Ⅱは64だ。

最初はAもBも受験する日にちが違うだけだと思って、他校の 入試日程を考えてるとB日程だけの受験を考えていた。
しかし複数回受験による加点の話を塾長に教えてもらい、その結果A日程とB日程の両日受験することになったのだ。

塾側の薦めなので過去問ぐらい用意して貰おうかとも思って言ってみたのだが
『去年のだったら塾に置いてあるのでそれでよろしければお貸しできます』とのこと。
それでもいいかと考えたが、二冊買っても5000円程度なので早速その日にAmazonで注文した。

東大の二つは偏差値から見ても厳しそうだが、A日程とB日程なら届きそうなものなので一ヶ月あれば何とかなるだろうと軽く考えていた。

準備不足でも毎日過去問に取り組んでいたので年が明けた頃には合格者平均を上回っていた。
そもそも完全に模試扱いなのだからこちらとしてみれば落ちても受かってもどちらでもよかったのが正直な気持ちだったのだ。

 

しかしこれが私だけの考え方であり、太郎には別のように捉えていた事を後に嫌というほど知らされることになる。

 

1月の回想録 その7

1/7 (火)

 

新年の挨拶の話が出たので少し挨拶についてたいして役に立たない話をひとつしよう。

 

挨拶っていう字を書くときに挨が先か拶が先なのか迷う人がいるらしい。確かに二つとも似ているので紛らわしい。

いや、私は迷わないと言う人もこの先も読んでに欲しい。

 

挨拶の語源は仏教用語なのだ。意外に思う人もいれば、そんなの常識だろうと言う人もいる。

普段使われている『挨拶』の意味は「人に会った時や別れる時などに取り交わす、礼にかなった動作や言葉」と書かれている。
しかし仏教辞典によると「師匠が弟子の悟りを推し量る事」と書かれているのだ。

これは「挨」は軽く押すことを意味し、「拶」は強く迫ることを意味する。
すなわち師匠が弟子の悟りを推し量るために、弟子に軽く問題を出し、それに弟子が自分の悟りを示そうと、精一杯の力で師匠の問題に応える。つまり「挨拶」とは禅問答を意味するものなのだ。

他にも仏教用語が日常生活とは切っても切れないぐらいに浸透している言葉がある。
そのひとつに『他力本願』である。

この言葉を聞くと「人任せにするな」という意味で「他力本願ではダメだ」と使われるケースをよく耳にする。
それゆえ「他力本願」という言葉は、他人任せにするという意味だと思う人が多いだろう。

しかし本来の仏教用語では「阿弥陀仏の本願に頼って成仏する」という意味になる。
「他力」の「他」は阿弥陀如来のことを指すので、「他力」を「他人の力」では無い。

これは簡単に説明すると、自らの力(自力)で往生できない凡夫をもれなく救う「他力」すなわち「阿弥陀の本願の力」によってのみ往生できると説いているのである。

その昔、浄土真宗の開祖である親鸞が·····
いや止めておこう。
これ以上話が逸れると、ただでさえ受験カテゴリーの住人から疎んじられているのに、あまりに受験と関係無い話ばかりしていると追い出されかねない。

そうこうしているうちに試験日は確実に近づいてゆく。