1/9 (木)
残すところ後1日で試験だ。
他のブログの保護者などは緊張して眠れないとか書かれているが、
別に私が試験を受ける訳でも無いので全くもって緊張しない。
私自身がこんな性格なのできっと太郎もあまり緊張していないと思っている。
仕事初めから早4日が過ぎたが相変わらず出勤するのが辛い。
通勤電車の中で週刊誌の中吊り広告が目に止まる。定年後の過ごし方みたいな見出しだった。
そこでふと自分の定年について考えてみた。
私がまだ20代の頃、確か定年退職の年齢は55歳だった気がした。
人口も多かったし国内の景気も悪くは無かったからだ。
故に私の今の年齢だと昔だったら定年退職して孫に小遣いでもあげている、気ままな年金暮らしとなっていたはずだ。
それがどうだろう?
息子はまだ小学生で孫どころの話ではない。これは自分が晩婚だったので自己責任だからとやかく言う気は無い。
昔だったら定年の年齢は55歳だったが
現在は60歳。
しかも、年金の支給開始は65歳。
実質蓄えが無ければ65歳まで働かなければならない。
しかもその65歳までも政府は先伸ばししようとしている。
これは偏に年金が「積立方式」ではなく「賦課方式」であるということなのだ。
積立方式だと自分が積み立てたお金が国が預かり、年金として返ってくるものだ。
一方賦課方式は、現役世代が支払った税金で年金受給者を養う方式なのである。
言わずと知れて日本の年金は「賦課方式」の方を選択している。
ではこの賦課方式は何が問題なのかと言えば、人口動態の変化である。
国が成長していると人口増加に伴い生産年齢人口が増え、高齢が少ないピラミッド型ならばり賦課方式は上手くいく。
しかし生産年齢人口が少なくなって高齢者ばかりが増えてしまうと、現役世代の負担は極度に重くなって高齢者を支えることができなくなる。
これが賦課方式の問題点だ。
今の日本は少子高齢化である。だから、莫大な高齢者を現役世代が支えることになってしまい、年金制度がぐらついているわけなのだ。
ここにきて政府は『生涯現役』などと調子の良い事を言い出している。
働ける間はずっと働いて稼いでくれという意味だ。
これは年寄りに年金なんぞあてにしないで一生働けと言っているのと同じである。
こんな早晩破綻するような状態で若者には年金をきちんと納めましょうなどと言うこと自体イカれている。
かと言って今更、過去資金が潤沢にあった時に箱モノを作ったことによって資金が底をつきました。
これでは一生現役ではなく一生奴隷である。