1/7 (火)
新年の挨拶の話が出たので少し挨拶についてたいして役に立たない話をひとつしよう。
挨拶っていう字を書くときに挨が先か拶が先なのか迷う人がいるらしい。確かに二つとも似ているので紛らわしい。
いや、私は迷わないと言う人もこの先も読んでに欲しい。
挨拶の語源は仏教用語なのだ。意外に思う人もいれば、そんなの常識だろうと言う人もいる。
普段使われている『挨拶』の意味は「人に会った時や別れる時などに取り交わす、礼にかなった動作や言葉」と書かれている。
しかし仏教辞典によると「師匠が弟子の悟りを推し量る事」と書かれているのだ。
これは「挨」は軽く押すことを意味し、「拶」は強く迫ることを意味する。
すなわち師匠が弟子の悟りを推し量るために、弟子に軽く問題を出し、それに弟子が自分の悟りを示そうと、精一杯の力で師匠の問題に応える。つまり「挨拶」とは禅問答を意味するものなのだ。
他にも仏教用語が日常生活とは切っても切れないぐらいに浸透している言葉がある。
そのひとつに『他力本願』である。
この言葉を聞くと「人任せにするな」という意味で「他力本願ではダメだ」と使われるケースをよく耳にする。
それゆえ「他力本願」という言葉は、他人任せにするという意味だと思う人が多いだろう。
しかし本来の仏教用語では「阿弥陀仏の本願に頼って成仏する」という意味になる。
「他力」の「他」は阿弥陀如来のことを指すので、「他力」を「他人の力」では無い。
これは簡単に説明すると、自らの力(自力)で往生できない凡夫をもれなく救う「他力」すなわち「阿弥陀の本願の力」によってのみ往生できると説いているのである。
その昔、浄土真宗の開祖である親鸞が·····
いや止めておこう。
これ以上話が逸れると、ただでさえ受験カテゴリーの住人から疎んじられているのに、あまりに受験と関係無い話ばかりしていると追い出されかねない。
そうこうしているうちに試験日は確実に近づいてゆく。